2016年7月26日火曜日

細田守監督「バケモノの子」を観て

観たいと思っていた「バケモノの子」がテレビで放映されたので、早速観てみ
ました。

この作品は、バケモノと人間の子供の心の交流が物語の中心にすえられて
いて、宮崎駿の「千と千尋の神隠し」の影響なども、随所に見受けられ
ました。

でも私にとって面白かったのは、師匠であるバケモノ熊徹と、その弟子である
人間の子九太(蓮)の関係のユニークさで、粗暴な熊徹が弟子との交感に
よって、武道の技術や精神力を高められ、九太は師匠を教師、時によっては
反面教師として修行を積むことによって、たくましく成長します。

この二人の関係性は、ある意味現代のあるべき父子の姿の一つのようにも、
感じられました。

さて熊徹がこれほど横暴で自堕落なバケモノであるのに、どうして宗師は
彼が自らの後継候補の有力な一人と考えているのか。彼がただ単に強い
から?

これもこの作品を観ていて、私の気になった部分です。

熊徹に自分では表現することが出来ないけれども、強いだけではない
バケモノとしての器量があった。それは強くなる過程で磨かれたものなのか?

熊徹が九太に武術を教えている時、自分の思いをうまく伝えられなくて、
もどかしげに心に剣を持てと言う場面、最後には自らが神の剣となって
九太の心に宿り、この弟子が邪悪なものに立ち向かうための力を与える
場面、剣は人の心の強さや意志を暗示しているようで、熊徹に対する私の
疑問が解けたように感じました。

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