2019年9月20日金曜日

酒井順子「現代のことば 恥の感覚」を読んで

2019年9月12日付け京都新聞夕刊「現代のことば」では、エッセイスト・酒井順子
が「恥の感覚」と題して、携帯電話やパソコンを人前で使用する時の自身のこれ
までの抵抗感から、彼女の最新の機器を用いることに対する羞恥の感覚について、
分析しています。

それによると彼女は、初期の弁当箱型のかさ高い携帯電話を人前で使用する人に
対して、最新のものを持っているという自意識が見え隠れするようで、恥ずかしさを
感じ、しかし小型化した携帯電話が普及すると、自分もすんなり使用するように
なったと言います。

更に近頃盛んに宣伝されている、機械に話しかける音声アシストの人前での使用
に対する抵抗を語った後、自分が現在はパソコンで原稿を書いているにも関わらず、
原稿用紙で育った世代ゆえに、人前でパソコンを開いて仕事をすることことを、いま
だに恥ずかしく感じると、告白しています。

何かすごく日本人的なメンタリティーで、酒井順子と言えば、近年の女性の生態、
感じ方を当意即妙にすくい上げるエッセイストとして、つとに知られている存在なの
で、その彼女がこと最新機器に対しては、平均的日本人と羞恥心を共有していると
いうことが、新鮮に感じられました。

私なども、伝統を重んじる気風の、家の立て込んだ古い町で生まれ、隣近所の人々
との関係や、周囲の人の目を気にする環境で育ったこともあって、何に付けても
目立たず、中庸を重んじる羞恥心を身に付けている、と感じることがあります。

しかし現代は、国際化やIT機器の普及、核家族化の進展など、劇的な環境変化に
よって、人々のものの感じ方や価値観も大きく転換しています。そのような新しい
環境の中で生きて行くためには、目立たないことをよしとする羞恥心を、かなぐり捨て
なければならない場面もあるでしょう。しかし逆に、新しいものだけをいたずらに追う
破廉恥も、慎まなければならないということも、あるはずです。

彼女のこの文章は、自身の生き方への矜持と共に、そのことを教えてくれるようにも、
感じました。

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