2019年9月11日水曜日

花田清輝著「復興期の精神」を読んで

私が本書を手に取ったのは、この連作エッセーをまとめた作品が花田の代表作と
言われるのみならず、大部分が第二次世界大戦中に書き継がれたからです。

言論統制の厳しかった折に、『復興期の精神』という主題の下、主にルネッサンス
期を生きた改革者を描くことによって、いかに敗戦後の混迷からの脱却まで見据え
て筆を進めたか、それを知りたいと思ったのです。

しかし実際に読んでみると、恐らく検閲を逃れるためもあるのでしょう、著者の並
外れた博識に由来する衒学趣味や多彩なレトリックの駆使、牽強付会な物言いも
あって大変難解で、私には一体どれだけの部分が理解出来たか、甚だ心許なく
感じました。それで池内紀の解説も参考にしながら、分かる範囲で感想を記して
みたいと思います。

まず、本書の最初に置かれた「女の論理ーダンテ」で、一般に女性が感情的で非
論理的であると見なされる訳を探る参考として、ダンテ『神曲』とバルザック『人間
喜劇』を比較し、チェーホフ『熊』『伯父ワーニャ』を引き合いに出して、修辞的で
あることが女の論理であるという結論に達します。

これは一見女性蔑視に同調するような言い回しに見えますが、しかし最後に修辞
的存在であるイエスと女性の同質性を語り、その理由として両者が迫害に対抗
しうる者として、文章を結びます。この抵抗精神を活写するレトリックの切れ味に、
ある種カタルシスを感じました。

次に、「天体図ーコペルニクス」では、地動説を唱え天文学に画期をもたらした、
いわゆるコペルニクス的転回と、本書執筆中の大戦最中、耳目を集めた思想的
転向を比較し、コペルニクスの転向が決して闘争的ではなく、平和裏のものであり
ながら、その実後世に多大な影響をもたらした事実に触れ、彼にヒューマニストと
しての理想の姿を見出します。この論理の展開も、時宜に適い見事であると、感じ
ました。

最後に、「肖像画ールター」では、宗教改革の実践者ルターのクラーナハによる
肖像画の貧相さー実際に観て、私はそうは思いませんがーから説き起こして、
宗教改革という事件が単に宗教的理由から起こっただけではなく、それを支持
する人々の社会経済環境が深く影響していると、結論付けます。この記述には、
花田の冷静な分析的思考を感じました。

0 件のコメント:

コメントを投稿