2017年8月14日月曜日

鷲田清一「折々のことば」842を読んで

2017年8月13日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」842では
茶道研究家筒井紘一の「利休聞き書き(南方録 覚書)」より、客と亭主は茶会に
どのような心持ちで臨めばよいかと問われた時、利休が答えたという次のことばが
取り上げられています。

 かなふはよし、かないたがるはあしゝ

茶道のことはまったく知らないので、よくご存知の方には一笑に付される暴論かも
しれませんが、私はこのことばに人と人が招き招かれ、一つの場に集った時の
それぞれの心の持ち方として、深い意味があるように感じました。

つまり私の心に響いたのは、”相手の心に叶おうとするのはへつらいにほかなら
ない”という部分です。

私は何でも自分のフィールドに引き付けて考えるので、私たちの三浦清商店に
あるお客さまが目的を持って訪れられた場合を想定すると、我々は何時でも、
可能な限りお客さまの要望にお応えしようと待ち受けていますし、対してそのお客
さまはこの店で自分の思い描く白生地を購入、あるいは誂え染めの品物を注文
しようと、考えておられることになります。

さてその場面での双方の心持ちを推量すると、我々は自分たちのお勧めする生地、
それを染め上げた場合の出来上がりに、品質、それに見合う価格共に一定水準
以上の自信を持って先方にお勧めしているはずですし、一方お客さまは商品を
直に見て、私たちの説明を注意深く聴いて、納得の上で購入、注文されることに
なるはずです。

もしこのような場面で、互いが相手に何らかの迎合や妥協をしてしまったら、幸い
ことがうまく運べばいいのですが、結果として何かの理由でお客さまに満足を与え
られなかった場合、双方に悔いを残すことになります。

我々はお客さまの要望に誠心誠意応えようと心掛けながらも、いたずらにへつらう
ことはかえって、お客さまを失望させることになりかねないと、肝に銘じるべきでは
ないでしょうか。

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