2017年8月16日水曜日

赤瀬川原平著「芸術原論」を読んで

赤瀬川原平の芸術活動というとすぐに思い浮かぶのは、ハイレッド・センターの
ハプニング、梱包芸術、千円札模写、トマソン、路上観察などの一見人を食った
ユーモラスな作品や活動です。しかし本書を読むと、それらの仕事が、彼の深い
芸術的思索の上に成り立っていることが、分かります。

まず彼は観察したものから、鋭い洞察力でその本質を見抜く能力を持った人です。
私が本書でそれを感じさせられたのは、鳥や魚の群れの動きに、一つの有機的な
結合体の活動に近いものを感受したと、記す下りです。

つまり、個々の鳥、魚は単独の個体でありながら、それらが一度群れとなって行動
する時、まるでそれぞれが目に見えぬ意思を伝達し合う糸でつながれているかの
ように、一糸乱れぬ動きを示すことから、自然界の中で個々には非力な小動物たち
が、群れという大きな生命体を構成して生活する様に、生命活動の本質を見出して
いる部分です。

そのような深い洞察力を持って、彼は自らの活動領域である芸術というものを突き
詰め、実践して行きます。

彼の理論によると、芸術家による作品の美への到達が、芸術の概念と一致した
幸福な時期は印象派の時代に最高潮に達し、前衛美術家M・デュシャンの登場に
よって最早、芸術作品に普遍的な価値は見出せなくなったといいます。

それ故赤瀬川は、自らの芸術活動において、一回限りのパフォーマンスや偶然に
目にしたものの中に、芸術性を発見する実験精神に満ちた試みと実践を行うことに
なります。

彼のもう一つの優れた能力は、自らが思考し感じたことを説得力のある分かりやすい
言葉で人に伝える能力で、トマソン、路上観察の活動では、観察し思索する力と、この
書き伝える力が一体となって、彼の考えるところの芸術性を生み出しているといえます。

私の芸術に対する考え方は、美がそれに触れる人の心を動かす力を今だ信じると
いう意味において、彼の美に対して余りにもストイックで、科学的合理性を追求する
考え方とは必ずしも一致しませんが、経済的論理や商業主義的価値観の浸透と共に、
芸術という概念がどんどん曖昧になって来ている今日、彼の提起した鋭い問いかけは、
我々が現代における芸術、美術の在り方を、改めてじっくりと考える起点になると、感じ
られました。

そして芸術の前衛を休みなく走り続け、その活動を分かりやすく、親しみやすい言葉で
発信し続けた、この特異な芸術家の喪失を、再び寂しく感じました。

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