2017年8月4日金曜日

鷲田清一「折々のことば」830を読んで

2017年8月1日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」830では
資生堂のPR誌「花椿」のアートディレクターを長年務めたグラフィックデザイナー
中條正義の、雑誌「ブルータス」7月1日号紙上での、次のことばが取り上げられて
います。

 どこか生煮えだったり、あんまり完璧にしすぎないって主義があるもんですから。

私の場合完璧にしようとしても、到底出来ない相談だ、という部分はあるんです
けれども・・・。

でも往々にして、完璧すぎは面白くなかったり、余裕がないように感じられることが
ままあると、感じます。

私の仕事に引き付けて考えると、例えば誂え染めの色ははっきりとしすぎた色よりも
少しくすんだり、微妙なニュアンスがある方が、実際に着用される時に身に添いやすい
ように感じられますし、着物、帯、帯揚、帯締めのコーディネートにしても、余りにも
スキのない取り合わせよりも、少し緩めたところがある方が、傍から見て余裕のある
着こなしのように感じます。

思いますに、どうしても完璧が求められることは別にして、多くの状態、場合において、
完璧ではない瑕疵、隙間の部分に可能性や広がりが生まれるような気がします。
これがいわゆる”遊びの部分”というものでしょうか。

しかし現代社会では、我々はあらゆる場面において完璧さを求められるようになり、
その結果どんどん追い詰められて来ているように感じます。

その原因はいろいろ考えられますけれど、さしあたり最たるものは工業化社会、
情報化社会の到来のように私は思います。

伝統的なもの、手工芸的なものに親しむことによって、このギスギスした社会環境に
よって疲弊した心をしばし癒すことが出来たら・・・。私の希望的観測です。

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