2017年4月12日水曜日

「福岡伸一の動的平衡 言語が脳に刻みこむ論理」を読んで

2017年4月6日付け朝日新聞朝刊、「福岡伸一の動的平衡」では、言語の役割は
コミュニケーションの道具というだけではなく、人間がものを考えるための道具でも
あり、それゆえ言語は概念を作り、人間の脳にその言語固有の神経回路を生み
出すということで、例として英語のrightとprivilegeの意味の、ネイティブスピーカー
にとっての感覚的な違いについて記されいます。

福岡の現地での経験によると、rightはもともと人間に備わった権利で、privilegeは
本人の努力によって得られるもの、だそうです。

この文章を読んで、私たちの国と彼の地での、権利という概念の捉え方の違いに
ついて、何か腑に落ちるものを感じ、納得させられた気がしました。

というのは、私たちの暮らすこの国の社会では、往々にして権利というものが自分に
都合がいいように拡大して解釈され、その結果として周囲への迷惑を省みず、自分の
主張を押し通そうとするあまり、公共のマナーに反することがまま見受けられるように、
感じるからです。

その原因として、私たち多くの日本人が権利というものの本来の意味を、未だに正確
には認識していないで、権利の行使には義務や責任が伴うことを、理解していない
ためだと、推察されます。

これは家庭内の子供の教育においても同様で、大人が権利の意味を知らなければ、
子供にも教え込むことが出来ず、結果、個人主義的な価値観の浸透と共に、権利の
履き違えはますます助長されることになります。

西洋から導入された権利という概念について、私たちが今だrightとprivilegeの言語的
ニュアンスの違いを正しく認識していないということは、その事実を端的に示している
のではないでしょうか?

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