2017年4月23日日曜日

鷲田清一「折々のことば」730を読んで

2017年4月20日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」730では
手記集「阪神・淡路大震災 私たちの20年目」より、被災者の一人山中隆太の
手記から、次のことばが取り上げられています。

 続けるという行為は、得てして新しいことに取り組むよりもエネルギーのいること
 なのかも知れない。

あの大震災から20年後に、あえてその悲惨な体験を風化させないために、手記を
再開した人の覚悟とはまた趣きが違うけれど、私はこの言葉から、今の時代に
私たちのような店を続けて行くことの難しさを、まず連想しました。

日本人の生活に関わる文化、習慣の変化によって、和装離れが言われ始めて
すでに長い時が経過しました。勿論我々の伝統文化に対する愛着には、まだまだ
捨てがたいものがあるでしょう。しかし、衣食住の生活様式が現代的という名の
下にほとんど洋風化してしまった、現在の私たちの生活においては、和服を着用
するためには、相当の時間的な煩わしさや、経済的な負担が付きまといます。

それでは、業界は人々に和服を着続けてもらうために、相応の努力をして来たのか、
と言われれば返す言葉もありませんが、抗えぬ時の流れもあったのだとは思います。

いずれにしても、言い訳をするという以前に、私たちは出来る限り店を続けることに
よって、和装や絹製品への愛着という日本の伝統文化を守る一助となりたいと、強く
願っています。

しかし現実は益々厳しく、需要の減退に伴って、産地の織屋、加工を担う職人が
どんどん減少して行き、従来からの白生地を手に入れることや、加工品を作り出す
ことが難しくなって来ています。

そのような状況の中で、多少とも継続的に需要がある可能性がある生地は、こちらで
在庫を抱えるリスクを冒して生産してもらったり、今まで頼りにしていた織屋や職人が
廃業すると、色々なつてを辿って新たな先を探したり、本当に、継続して行くためには
従来以上のエネルギーが必要だと、痛感しているこの頃です。

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