2017年4月7日金曜日

鷲田清一「折々のことば」711を読んで

2017年3月31日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」711には
作家吉田篤弘の物語集「という、はなし」から、次のことばが取り上げられています。

 そのとき、自然と孤独なふりをできるのが灯台のいいところ

そう言えばものを考える時には、知らず知らずのうちに周囲の環境から自分を
切り離して、思いの中に没入しているのでしょう。

でも私の場合、その思考する行為自体が有意義なものであるかどうかは、そこに
至るプロセスに随分左右されるように感じます。

例えば具体的には、私にとって仕事中の時間でも、休日であっても、閑であるという
時には、大抵ろくな考えが浮かびません。後ろ向きであったり、将来を儚んだり、
はたまた不安が募ったり、まあ今の置かれた現実が厳しいからと言えばそれまで
ですが、そういう時に去来する考えは、後から振り返ると全く意味のないものが
ほとんどです。

ところが逆に、何かをきっかけとして思いに耽る時、それは前向きな新しいアイデアに
つながったり、気分を変えてくれるような爽やかさをもたらしたり、あるいは感動を
味わわせてくれたり、後から得した気持ちになれる考える行為となることが、多々ある
ように感じます。

ですから私は、出来るだけ自分を閑な状態にしないように、仕事中は勿論、休日でも
予定を詰めて、”無駄な考え休むに似たり”にならないよう、心掛けています。

私の性格が持って生まれた貧乏性ということかもしれませんし、今日の上記の
ことばに習えば、灯台にたどり着く行き方の問題かもしれません。

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