2016年11月14日月曜日

鶴見俊輔、関川夏央「日本人は何を捨ててきたのか」を読んで

戦後の代表的な知識人の一人鶴見俊輔から、関川が思想のエッセンスを引き出す
対談集です。

私は、鶴見というと「思想の科学研究会」「ベ平連」「九条の会」の結成、参画によって、
常に大衆に寄り添う思想家というイメージを持って来ましたが、彼の考え方の
バックグラウンドや思想それ自体については、全くと言っていいほど知りませんでした。
それで入門書として比較的理解し易いかと思い、本書を手に取りました。

まず目に止まるのは、彼の特異な生い立ちと青少年期です。彼は政治家、著述家
鶴見祐輔の長男で、母方の祖父は後藤新平、姉は後に社会学者として著名な
鶴見和子というエリート家庭に生まれますが、小学校時代から素行不良が目立ち、
府立高等学校を退学処分になり、父の計らいでアメリカ留学、日米開戦により
ハーバード大学卒業後、自らの選択で帰国します。この不良性というものが、彼の
ものの考え方の根底にあるといいます。つまり、一番を目指すというエリート意識に
対する反感です。

彼によると、明治期の日本国家は近代化を急ぐあまり「樽の船」を作った。その中で
教育を行った結果、枠の中で一番を目指すエリートを多く生み、当然の帰結として
自由な精神を持つ個人はいなくなった。また第二次大戦の敗北もこのシステムを
根本から変えるには至らず、今日の閉塞状況を生んでいる。つまりその状況を打破
するためには、我々一人一人が社会を取り巻く問題を自分自身の直面する課題と
捕え、自力で解決する方法を考える姿勢こそが大切である、と言うのでしょう。

鶴見自身が係わった上述の研究会、住民運動などは、正にこの考え方をベースに
して成り立っていると感得出来ます。

では日本人が明治以降に失った大切な能力は何かというと、彼は「受け身」の知力
とも言います。これは一見主体性と矛盾するようにも感じられますが、柔道でいう
受け身の強さというか、人の影響を受けて自分を変えて行く能力で、受動的では
あるがそれゆえの強さを生み出す力です。

考えてみれば明治以降の日本は、軍事力であり、経済力であり、常に勝利や発展を
追い求めて来たのでしょう。今日の閉塞感はその帰結でもあります。鶴見の思想の
要点は、権力にこびない反骨心と打たれ強い柔軟さ、自由さにあると、改めて感じ
ました。

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