2016年11月4日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、逆上がインスピレーションとなる理由

2016年10月28日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載131では、
吾輩が苦沙弥先生の逆上癖を、詩人の創作のためのインスピレーションに敷衍
して論ずる、次の記述があります。

「その中で尤も逆上を重んずるのは詩人である。詩人に逆上が必要なる事は
汽船に石炭が欠くべからざるような者で、この供給が一日でも途切れると彼れら
は手を拱いて飯を食うより外に何らの能もない凡人になってしまう。」

インスピレーションを逆上の一種と見なす発想は、現代的な感覚からは随分
ユニークです。私たちにとってインスピレーションの響きは、冷静で、研ぎ澄ま
された鋭利なもの、逆上とは相反するイメージなのではないでしょうか?

しかし考えてみれば、創作者におけるインスピレーションは、本人が思考を
重ねた末に、突然天啓のように降りて来るもの、といった側面も確かにあります。
その脳の活発な活動状態を長時間維持するためには、脳内を巡る血流を
最大限に保つ、ここで言う逆上が必要なのかもしれません。

漱石自身も逆上し易い人、また作品を執筆している時には終始不機嫌で、我が
身をすり減らしていたということですから、逆上しながら全身全霊で小説を書く
というのは、正に自身の実感であったのでしょう。

そういう意味ではこの描写には、漱石の作品創作の秘密の一端が記されている
ようにも、感じられます。

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