2016年11月6日日曜日

鷲田清一「折々のことば」566を読んで

2016年11月2日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」566には
音楽プロデューサーでベーシストの亀田誠治のツイッターから、次のことばが
取り上げられています。

 雲があると、月の表情が優しく見えるよね。みんなお互いを生かしあっているん
 だね。

執筆者はこのことばを、品位と謙譲が消えてなくなりそうな時代への憂え、と解釈
しているようで、その受け止め方にも共感しましたが、私はついつい日本的な美
というものに興味が向かうので、以下のようなことを感じました。

日本的な美の感性を示す例えとして、朧月夜の美しさということが言われます。

煌々と照る満月も見事だけれど、霞んだようにおぼろげに光る月も、趣があって
美しい。

ということは、月と雲が互いを生かし合って美を造り上げている、とも言えるで
しょう。

また日本的な美意識では、隠れたもの、少しだけ姿を覗かせているものに
美しさを見出すという感性もあります。

これはさしずめ、目には見えないもの、全体像を確認出来ないものに、想像を
巡らせ、美を感じ取るということでしょうか?

いずれにしても私たちは、理性的で明確に屹立する美よりも、相対的で影響
し合うものの中に見出される美を、好んで来たのだと感じさせられます。

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