2016年9月9日金曜日

鷲田清一「折々のことば」507を読んで

2016年9月2日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」507では
詩人、思想家吉本隆明の「どこに思想の根拠をおくか」から、次のことばが
取り上げられています。

 「何のために」人間は生きるかという問い・・・・・を拒否することが<生きる>
 ということの現実性だというだけです。

私たちは、「何のために」生きているのかとついつい自分に問いがちですが、
考えてみれば「何のために」なんて簡単に答えられるものではありません。

第一、生まれて来る時点からして、目的があって生まれて来たのではなく、
たまたまそこに生を得たのであり、社会環境や周囲は生まれたその子供に
何かを期待しているかもしれないけれど、それは到底本人の知ったことでは
ないからです。

ということは、「何のために」生きているかという問いはあくまであと付けの
問いであり、人間という地球上の生き物がその一生をまっとうするための
理由づけに過ぎないと、思うのです。

しかし人間は社会的動物であり、また内省的存在であることから、周囲の
状況や、自分の立場を鑑み、ついつい「何のために」と考えてしまうのでしょう。

かくいう私も、よくそんなことを考えて落ち込んでしまうのですが、上述のような
吉本のキッパリとした否定のことばは、こんな私たちに勇気を与えてくれると、
感じます。

私自身も長きに渡って、彼の著作のそんなことばによって随分励まされて
来たと、このことばを読んで改めて思い返しました。

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