2016年6月13日月曜日

井上達夫著「リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください」を読んで

リベラル、リベラリズムという言葉を頻繁に耳にはしますが、それが具体的に
どのような理念、信条を意味するのかよく分からないとこらがあったので、
本書を手に取りました。

実際に開いてみると、著者は法哲学者ということで、かみ砕いて書いてある
はずなのに専門用語が頻出して、私には十分に理解することが出来ません
でした。それゆえ、本書から感触としておぼろげながら受け取ったものを、
以下に記してみます。

まずリベラリズムとは何かと考える時、その歴史的起源としては「啓蒙」と
「寛容」が挙げられるといいます。啓蒙は理性によって因習や迷信を打ち破り、
人間の精神を解放することを意味し、他方寛容は互いを許し合うことによって、
宗教的対立を緩和することを意味します。

しかし両者には長所、短所があり、それを再編強化するためには、「正義」と
いう概念が重要になると、著者は述べます。またその正義の基準としては、
当事者相互の立場における公正が求められます。

このように要約してみても、私にはなかなか具体的なイメージが浮かび
ませんが、次に語られた現代日本の政治的課題に対する著者の見解は、
リベラリズムとは何かということを理解するために、一定のヒントを与えて
くれるように感じました。

つまり学校現場での国歌斉唱、国旗掲揚の問題では、愛国心の強制に反対
することは、愛国心に反対することではなく、これを批判する人はそこを混同
しているということ。ドイツと日本の第二次世界大戦後の戦争責任の取り方に
ついては、ドイツの方が日本より誠実な対応をしているというイメージが定着
しているのに対して、必ずしもそうではない点についても留意すること。また
憲法九条の戦争放棄の条項が、非現実的ゆえに削除すべきであるということ、
他方政府による安全保障面の解釈改憲は、立憲主義の精神をないがしろに
しているゆえに非難されるべきであるということ、などです。

ここで著者が標榜するリベラリズムは、法というものを国家を介して、政治や
慣習、すべての既成事実に囚われることなく、万人に等しく自由と権利を
もたらすための規範として、厳正に規定、運用すべきものと捉える考え方で
あると、私には感じられました。

法律というものも、あくまで生身の人間が制定し、運用する以上、不完全な
部分や社会環境の変化によって時代に不整合な部分も生じて来るに違い
ありません。

殊に我が国では、経済の成熟化に伴って、新たな社会の枠組みを作り上げる
ことが緊急の課題となっている現在、その社会に相応しい法を作り上げる
ためには、リベラリズムのいう正義と公正という概念がより重要になって来ると、
思いました。

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