2016年6月3日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、細君をけむに巻く迷亭の苦沙弥先生の人物評価

2016年6月3日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載41に、
苦沙弥先生の帰りを待つ、友人の迷亭の話し相手をしながら、思わず主人の
苦情を申し立てる先生の細君を、この友人が何とも不可思議な人物評で翻弄
する、おかしな描写があります。

「その次にねー出づるかと思えば忽ち消え、逝いては長えに帰るを忘るとあり
ましたよ」

「奥さん、月並みというのはね、先ず年は二八か二九からぬと言わず語らず
物思いの間に寐転んでいて、この日や天気晴朗とくると必ず一瓢を携えて墨堤に
遊ぶ連中をいうんです」

何とも人を食った、迷亭らしい物言いです。思わずニヤリとしてしまいました。

始めの言葉は、ある文学雑誌の苦沙弥先生の文章評についてで、彼の文章は
雲をつかむように曖昧模糊で、その上何を言おうとしているのか分からず、流れ
去ってしまうといったところでしょうか?そのくせ、これは好意的な評価だと、
言っています。

次の言葉は、先生を月並みでないと誉めておいて、では月並みとはどういう
ことかと、例えでもって説明するための物言いです。苦し紛れに脈絡のない
常套的な表現を並べて、お茶を濁しています。

この当時は先生、迷亭らの知識人と先生の奥さんなどの普通の人々との文化的
ギャップが大きく、こんな笑い話が生まれるのでしょう。今を生きる私たちの
価値観からすると、嫌みがないのが素直に読める要件です。

0 件のコメント:

コメントを投稿