2016年6月26日日曜日

鷲田清一「折々のことば」439を読んで

2016年6月25日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」439では、
経営者で作家の平川克美の「言葉が鍛えられる場所」から、次のことばが
取り上げられています。

 ひとは自分が思っているほど、自分のために生きているわけではない

この言葉を読んだとたん、正直私は戸惑いました。なぜなら私は、恥ずかし
くて決して口には出しませんが、内心、家や家族や店のために生きるべき
だと考え、常日頃それを実践しているつもりでいるからです。

でもよくよく考えてみると、それは都合のいい口実で、そのお題目を隠れみの
にして、自分の思い通りに振舞っていないでしょうか?

あるいはその大前提を守るために、自分自身に何かと犠牲を強いていたり、
やりたいことに積極的に取り組めないと、被害妄想的心情に陥っていないで
しょうか?

人は自分のために生きているわけではないと、認識しているはずの自分の
自己欺瞞!逆説的な言葉に触れて、かえって日頃の自分の思いについて
もう一度振り返らされた気分です。

それは私が、知らず知らずに陥ってしまっているおごりへの、気づきでも
なければならないでしょう。

 

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