2016年6月1日水曜日

鷲田清一「折々のことば」415を読んで

2016年5月31日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」415には
魯迅の短編「故郷」より、次のことばが取り上げられています。

 希望とは本来あるとも言えないし、ないとも言えない。これはちょうど
 地上の道のようなもの

このことばを読んで、私はすぐに高村光太郎の詩「道程」より、私の好きな
言葉ー僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る。ーを思い浮かべました。

というのは、光太郎の詩のなかのこの言葉から、私は希望を感じ取っていた
からです。

この表現は、取りようによってはエリート意識を含むとも、人生に対する傲慢な
態度を示しているとも思われなくはないですが、彼はそんな狭い料簡ではなく、
悩み抜いた末に見えて来る救いの道に、この言葉を重ねたと理解したのです。

同様に魯迅も上記のことばに託して、希望とはその存在を信じ、その信念の
下に歩むことを続けることによって、初めて開かれるものであると、述べようと
しているのではないでしょうか?

私たちはとかく思うように行かず、制約の多い人生の道行きの中で、ついつい
希望というものを見失い勝ちですが、道の先のはるか彼方に、見据えるべき
ものを持つことは、自らをもう一度奮い立たせる糧になると、今は信じています。

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