2016年4月18日月曜日

岩城けい著「Masato」を読んで

父のオーストラリア赴任で、現地のパブリックスクールで学ぶことになった、
小学生安藤真人とその家族の物語です。

「さよなら、オレンジ」で従来の日本文学にはまれであった、海外滞在者の
寄る辺ない心情を描いて注目された、岩城けいのデビュー第二作です。

私自身海外在住経験がないので、真人のパブリックスクールでの学校生活と、
自らの日本での小学校時代を重ね合わせて考えてみました。

真人にとって、現地語(英語)を全く話すことも、理解することも出来ない状態で、
現地の一般校に単身投げ入れられることは、確かに相当な負担であった
でしょう。受け入れ側の学校の関係者にはそれなりの配慮があったとしても、
子供の世界はシビアで、異質なものを容赦なく排斥したり、弱者をいじめる
ことが往々にあるからです。

また文化の違いは価値観や習慣の違いを生み、異なる環境から訪れた者が
その地に溶け込むのを、目に見えない部分で妨げもします。

孤立無援の絶望的な気分の中で、でも真人はいじめっ子に対してもひるみ
ません。喧嘩をして、自身の正当性をうまく説明出来ないために不利な立場に
立ち、母親が校長に呼び出されて注意を受けても、じっと屈辱に耐えるしか
ありません。しかし真人の惨めな現状に甘んじない反発心は、後の彼の
人間的成長の原動力となったと感じさせます。

もし私が小学生の時そのような状況に置かれたら、果たして彼ほど毅然とした
態度を貫けたかどうか、大いに心もとなく思います。

彼がようやく友人を得、学校生活になじむのも、自分にとって興味があるもの、
好きなことがきっかけでした。サッカーを通じてジェイクと親しくなり、生き物を
介してノアと友達になります。同じアジア系ということで、最初に交流を持つ
ことになったケルヴィンとは、飼い犬を通してより解かり合えるようになります。
嗜好やものの感じ方が同じであることが、友情の原点であると気付かされます。

真人に現地での進学を決意させるのも、演劇を学びたいという理由です。
人生において生きる目的を見付けることが、その人間を成長させることを示して
くれます。

他方真人の母遼子は最後まで現地にはなじめず、彼と夫を置いて先に帰国する
ことになります。学校や仕事で必然的に現地文化を受容しなければならない
彼らと違って、家庭内の生活が主な主婦が一人取り残されるという図式は、
彼女が異文化に接することに臆病な、引っ込み思案の資質であることが示す
ように、ある意味典型的な、家族共々海外赴任した日本人会社員の妻の悲劇を、
現わしているようにも感じました。



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