2016年4月4日月曜日

漱石「吾輩は猫である」における、拾われた猫の心意気

2016年4月4日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」漱石没後
100年記念連載2に、苦沙弥先生の家に漸く置いてもらうことになった主人公の
子猫が、自身の心境を語る次の言葉があります。

「下女は口惜しそうに吾輩を台所へ抛り出した。かくして吾輩は遂にこの家を
自分の住家と極める事にしたのである。」

「吾輩は猫である」の猫の言動の可笑し味は、正にこんなところに現れていると
感じます。

なぜなら母猫からはぐれて餌を得る方法も見つからず、途方にくれた末、漸く
潜り込んだ苦沙弥先生宅の台所から、下女に何度も外につまみ出されながら、
どうにか主人の許可を得てこの家に居られることになったにも関わらず、当の
猫自身、しょうがないからわざわざ住んでやるというような、偉そうな物言いを
しているからです。

現にこの猫が苦沙弥先生の膝や背中に乗るというような、主人のご機嫌取りを
する場面でも、決して好き好んでやっている訳じゃないと、うそぶく始末です。

つまり、か弱く、寄る辺ない存在である猫が、我々人間の日々の行動を、高み
からまるで愚かなものを見るようにして、語っているところが面白い。また一方
登場人物の方も、この猫を取るに足らない存在と思っているから、彼の目の
前で平気で醜態を晒してしまう。それでまた、猫の興味深い話の種にされるの
です。

しょっぱなから、面白さ全開になって来ました。

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