2016年4月20日水曜日

漱石「吾輩は猫である」における、子供の行状を見ての猫の感慨

2016年4月20日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載12に、
食卓に置きっぱなしになっていた砂糖壺から、代わる代わる砂糖を匙で
自分の皿に移して、山盛りになったそれをまさに食べようとした時、丁度
起きて来た苦沙弥先生に見つかって取り上げられた、可哀想な彼の二人の
女の子の様子を見て、吾輩が感慨を述べる次の記述があります。

「こんなところを見ると、人間は利己主義から割り出した公平という念は猫より
優っているかも知れぬが、智慧はかえって猫より劣っているようだ。そんなに
山盛にしないうちに早く嘗めてしまえばいいにと思ったが、例の如く、吾輩の
言う事などは通じないのだから、気の毒ながら御櫃の上から黙って見物して
いた。」

人間を高みから見下ろしている猫にしてみれば、正に言いえて妙の発言です。

二人の子供、姉と妹は、好物の砂糖がたっぷり入っている壺を目の前にして、
大人の目がない千載一隅のチャンスに固唾を呑みます。後ろめたく思いながら
まず姉がおずおずと一杯自分の皿にすくう。妹が真似て一杯すくう。また姉が
すくい・・・。次第に勢いがついて来て、それを繰り返しているうちにとうとう壺の
砂糖はなくなります。さて各々の皿の大盛りのそれを平らげようとしたその時に、
運悪く苦沙弥先生が起きて来て・・・。

人間は悪いことをする時でも互いをおもんばかる動物、特に躾られた姉妹なら
日頃の教育の賜物で、お互いの目の前では公平を期すでしょう。でも好きな
ものを損しないように取り込みたいという強欲な面もあって、その葛藤が
それぞれの眼前に砂糖がうずだかく積まれた皿を作り上げた。そしてその
結果が、一さじもなめられない結末です。

猫の思考のような野性的な単純さが、時に好物にたらふくありつける恩恵を
もたらすこともあるのです。

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