2016年4月11日月曜日

寺尾紗穂著「原発労働者」を読んで

東日本大震災後のあの過酷な福島の原発事故まで、私は原子力発電という
ものに、一体どんなイメージを抱いていたのでしょうか?

唯一の被爆国の住民として、原子爆弾の恐ろしさについては、報道、映像、物語、
マンガ等に繰り返し接する中で、確固とした負のイメージが出来上がっていました。
しかし原子力発電には、平和利用の名の下に、原爆が悲惨なものであればある
ほど、何か未来志向の楽観的な希望を感じていたと思います。

その上経済発展と共に、産業活動においても、個人の家庭生活においても、益々
必要が増す電力の供給を担う手段として、またそれが火力などと比較して一見
クリーンな相貌をまとうだけに、私たちは言わば必要悪として看過して来たと感じ
ます。そしてそれらの心の持ち方の前提として、原発は安全であるということが、
絶対の必要条件であったでしょう。

しかし3月11日の大震災に伴う原発事故が、私たちの価値観を根本から覆した
ことは、言うまでもありません。

さてその中での本書は、若い気鋭の女性筆者がベールに包まれた原発労働者の
実体を、インタビューを通して明らかにしようとする書です。勿論原発労働者と
言っても仕事は多岐に渡り、多数の人々がそれぞれの役割を担っていることから、
本書で知ることが出来るのはその一端に過ぎません。

ですが電力会社が原発の安全性を過剰にアピールしながら、労働も含めた内部の
実情については極端な秘密主義を貫き、労働者自身も仕事から外されることを
恐れて、内情を話すことが出来ない環境にあるので、本書での証言は貴重であり、
原発について何も知らない私でも、その現場をおおう雰囲気を察知することが
出来ます。

まず原発労働を劣悪で不安定にしている根本には、多重請負による入り組んだ
雇用関係があります。つまり労働者は電力会社に直接雇われている訳ではなく、
下請け、孫請けと何重にも連なった末端で作業に従事しているので、それぞれの
事業体が上の顔色を窺い、具合の悪いことを隠蔽する体質が生まれます。

その上に、放射能という目に見えない危険に直に対峙しなければならないこと、
安全を確保しながら作業を進める限界を超えるスピードで、作業を行うことを求め
られること、などが続きます。

私たちはこの度の原発事故まで、原発の危険性から目を背けて来たと同時に、
原発そのものの実体を知ることも怠って来ました。ここに提示された原発労働の
非人間性は、その厳然たる事実を如実に物語っています。

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