2016年4月13日水曜日

漱石「吾輩は猫である」における、車屋の黒の消沈

2016年4月13日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」
没後100年記念連載8に、主人公の吾輩が見た沈んだ黒の様子を記する、
次の文章があります。

「殊に著るしく吾輩の注意を惹いたのは彼の元気の消沈とその体格の悪く
なった事である。吾輩が例の茶園で彼に逢った最後の日、どうだといって
尋ねたら「いたちの最後屁と肴屋の天秤棒には懲々だ」といった。」

かわいそうにあの大きく頑健な体格と、黒く艶やか毛並み、そして琥珀よりも
美しい瞳を誇った流石の車屋の黒も、見る影もありません。

彼は、吾輩を猫とも思わない横柄な態度で見下し、その上猫世界の成功者
として、栄養の行き届いた丸々とした体を誇っていましたが、何か憎めない
愛嬌も有していました。

それは物事を深く考えない楽天的で、単純な性格ゆえだったのでしょうが、
それだけに彼の悲惨な姿には、どこか憐憫の情を禁じえないところが
あります。

きっといつものように、魚屋の店先から売り物の魚をかすめ取ろうとして、
店の主人に天秤棒で手ひどく叩かれたのでしょう。

その点吾輩は、思慮深く、賢明な猫で、全盛期の黒の腰ぎんちゃくになって
いれば御馳走にあり付けたのに、見向きもしないで分不相応の欲望は
抱かず、日々に満足して健康に暮らしています。

こう考えて行くと、何だか黒の姿が、我々の世界でも時折見受けられる、
一時成功を収めて羽振りが良かった人物が、調子に乗り過ぎて身を持ち崩す
姿とも重なるように感じられて、切ない気持ちがして来ました。

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