2015年12月4日金曜日

漱石「門」における、抱一の屏風を坂井の家で再見した宗助の感慨

2015年12月2日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「門」105年ぶり連載
(第四十七回)に、かつて自分のものであった抱一の屏風を、大家の坂井が
購入したらしいことを知った宗助が、坂井の家に確認するために赴いて、
それを目にした時の感慨を記する、次の文章があります。

「 けれども、屏風は宗助の申し出た通り、間もなく奥から縁伝いに運び
出されて、彼の眼の前に現れた。そうしてそれが予想通りついこの間まで
自分の座敷に立ててあった物であった。この事実を発見した時、宗助の
頭には、これといって大した感動も起こらなかった。ただ自分が今坐って
いる畳の色や、天井の柾目や、床の置物や、襖の模様などの中に、この
屏風を立てて見て、それに、召使が二人がかりで、蔵の中から大事そうに
取り出して来たという所作を付け加えて考えると、自分が持っていた時より
慥に十倍以上貴とい品のように眺められただけであった。」

何ともわびしい感慨です。宗助は自嘲気味に自らの境涯を見ているのか、
それとも人生を達観しているのでしょうか?

しかしその感じ方には全然卑屈なところはなく、何かさばさばした潔さも
うかがわせます。そんなところが、宗助という人物の魅力であるとも感じ
ました。

話は少しそれますが、彼からこの屏風を巡る顛末を聞いた坂井が、その
事実を笑い飛ばして、以降この二人がより親しくなったという記述は、
坂井の余裕と度量の大きさを感じさせて、この人物も好ましく思いました。

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