2015年12月24日木曜日

鷲田清一「折々のことば」257を読んで

2015年12月21日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」257に
評論家大宅映子の関西の私大での講演から引いた、次のことばが
引かれています。

 死ぬとわかっていてなぜ人は生きていけるのか。その根源的な理由を
 考えるのが、文学部というところです。

昨今は学生の間でも、工学系など実践的な学部がもてはやされて、どうも
文学部などの直接には社会に出てすぐに役立たない学問は、敬遠され勝ち
なようです。

先般も文部科学省から国立大学に対して、人文科学系の学部の廃止、
転換の通達が出て、少なからぬ反響を呼びました。

私自身は経済学部を出て、正直社会に出た時には、自分が携わる末端の
仕事とは余りにもかけ離れていると感じました。もっとも、当時としては
それほど将来の展望もなく、ただ就職に有利ということで、この学部を
選択したのが実情ですが・・・。

しかし今になってみると、無論経済学が身を立てるスキルになっているとは
到底思われませんが、経済学的なものの考え方や、その学部で一般教養
として学んだ知識は、確かな生きるよすがや、心の滋養になっていると感じ
られます。

とにかく近頃は、何につけても合理的かつ実践的なものが求められ勝ち
ですが、長い目で見る人生において、さらには社会全体の仕組みを円滑に
動かすためにも、人文科学系の学問も必要なのではないか?このことばを
読んで、そんな思いを強くしました。

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