2017年6月18日日曜日

「後藤正文の朝からロック 「日本すごい」どころか・・・」を読んで

2017年6月14日付け朝日新聞朝刊、「後藤正文の朝からロック」では、「「日本すごい」
どころか・・・」と題して、筆者が三味線を初めて手にして戸惑う様子が記されています。

現代の日本では音楽と言ったら洋楽が中心で、たとえミュージッシャンといえども、
三味線のような邦楽器に馴染がない人がいるのも無理はないことでしょう。それこそ
一般の人々には、ますます縁遠いものに違いありません。

同様に和服も、普通の人の感覚では、随分に馴染の薄いものになってしまいました。

しかし衣食住は文化の根底をなすもので、和服は長い年月私たちの服装であった
ので、この国の文化と和装は切り離せないつながりを持って来ました。

私のような京都暮らしの人間の身近な例として、住まいという点から見ても、畳敷きの
日本家屋は、和服で暮らすのに適するように作られていますし、日本庭園は、和装の
歩幅で歩きやすいように飛び石が配置されています。

もっと文化的な側面から見ると、儀式的な部分では今なお和服で執り行われる行事が
多く存在しますし、伝統芸能や芸道の世界では、和装が前提であることは、言うまでも
ありません。

文学においても、江戸時代以前は言うに及ばず、先日まで新聞連載された一連の
漱石の作品でも、着物の種類や着こなしで登場人物のキャラクターを生き生きと描写
する場面が、しばしば見受けられました。

ここしばらくの間に、日本人の生活習慣は随分変化しましたが、まだまだ私たちの心の
中には、和服の文化が息づいているはずです。一般の人々がもう一度その良さを
見直していただくお手伝いをすることが、我々に残された役割の一つではあります。

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