2016年12月9日金曜日

鷲田清一「折々のことば」598を読んで

2016年12月5日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」598では
漫才師、作家の又吉直樹のエッセー集「東京百景」から、次のことばが取り上げ
られています。

 色々あった一日の帰り道に、近所のコンビニに立ち寄り、店内に流れていた曲が
 エンディング曲のように聴こえたりする。

日々のコンビニとのかかわりの中で、そうかこんな思いを抱く人もあるのかと、何か
今まで経験したことのない感覚に出合ったような、感慨を覚えました。そういえば、
私も読みたいと思いながらまだ機会を逃している、芥川賞受賞作の「コンビニ人間」
という小説もありましたっけ!

コンビニに対するこの感覚が新鮮に感じられたのは、私の暮らす古い街では、
酒屋、八百屋、菓子屋、たばこ屋、本屋といった、小さな小売りの個人商店が
どんどん姿を消して、代わりにあちこちで見かけるようになったのがコンビニで、私は
個人商店の店の主人とお客の顔の見える関係が好きで、それに対してコンビニは
対応がマニュアル通りで、扱う商品もある種画一的、よそよそしく冷たい感じを常々
抱いて来たからです。

しかし上記のことばに照らして考えてみると、コンビニが街の一部になって久しく、
私自身も始終利用していますし、夜遅くまで開いていて助かることもあります。また
若い人にとっては、コンビニに抱くイメージも随分違うものなのでしょう。また一人
暮らしのお年寄りにとっても、生活していく上で必要なものに違いありません。

やはり私の抱く感覚も、時代に合わせてある程度修正して行かければならない
のかもしれません。そういう視点に立ってみると、私たちの三浦清商店はさしずめ
古臭く、店の人間に尋ねないと商品は出てこないですし、商品に価格も表示させて
いない、ということになるでしょうか。

若いお客さまの新しいものの感じ方にも配慮しながら、守るべき伝統は大切にして、
これからも店を営んで行きたいと思います。

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