2016年8月30日火曜日

漱石「吾輩は猫である」における、吾輩の人間評

2016年8月25日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載92には、
余りの暑さにうんざりとした吾輩が、不平にかまけて辛辣な人間評を展開する、
次のような記述があります。

「これで見ると人間はよほど猫より閑なもので退屈のあまりかようないたずらを
考案して楽しんでいるものと察せられる。・・・・気楽になりたければ吾輩のように
夏でも毛衣を着て通されるだけの修業をするがよろしい。」

いやはや、一言居士の吾輩にかかったら、我々人間もたまったものではありま
せん。立場が変われば評価も変わる。そういうことでしょう。

しかし猫の言い分にも、色々もっともな点があるように感じられます。

確かに人間も本来はもっと自然に近い生き方をしていて、文明化して行くに
つれて、衣食住に気を遣う余裕が出来、それが高じるとはた目にも、贅沢と
みなされる生活を送るようになったのです。

現代人の生活などは、漱石の時代と比較しても、随分と贅沢で、無駄が多いに
違いありません。

生活が豊かになると、今度は忍耐力が乏しくなり、どんどんわがままになって
行くものでしょう。そして種々の雑念や煩悩も新たに生じて来ます。

猫の吾輩は、人間も夏に毛皮を着て涼しい顔を出来るぐらい、自分を鍛え
なければ到底精神的安息は得られないと、私たちに警告してくれているので
しょう。

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