2016年8月17日水曜日

漱石「吾輩は猫である」における、多々良が苦沙弥に語る実業家の利益

2016年8月17日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載86には、
苦沙弥先生のもとを訪れた元書生の多々良が、実業家の利得について得意げに
語る、次の記述があります。

「「それだから実業家に限るというんです。先生も法科でも遣って会社か銀行へ
でも出なされば、今頃は月に三、四百円の収入はありますのに、惜しい事で
御座んしたな。・・・・・」」

ここでいう実業家とは、今でいう会社員のようです。この当時の大学卒業者の
社会的地位は、私には実感として分かりかねますが、文科を出ようが、法科、
工科を卒業しようが、かなりのステータスがあったようにこの文章から察せられ
ます。

今日では毎年の大学卒業者は相当な数に上り、就職の難しさも例年話題に
なることなので、我が国全体の教育水準の上昇にも、単純ではない問題点が
あることは、確かでしょう。更には、近年は貧富の格差の拡大による教育機会の
不均等が懸念されるように、問題はますます複雑になって来ているように感じ
られます。

さて同じ大学卒業者でも、片や英文科を出て教師になった苦沙弥先生と、一方
法科を出て実業家になりたての多々良とでは、給金に雲泥の差がある。

これも漱石の実感でしょう。しかし「吾輩は猫である」のこれまでの展開を見て
来ると、彼には安月給の教師としての自負があり、実入りがよい実業家を軽蔑
している。彼はこの小説で、憂さを晴らしているようにも見えます。

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