2016年8月22日月曜日

漱石「吾輩は猫である」における、いざ鼠を捕ろうとする吾輩のつぶやき

2016年8月22日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載89には、
鼠を捕ろうと決意した吾輩が、さて実際に捕る段になって頼りないことを独白する、
次の記述があります。

「心配せんのは、心配する価値がないからではない。いくら心配したって法が
付かんからである。吾輩の場合でも三面攻撃は必ず起らぬと断言すべき相当の
論拠はないのであるが、起らぬとする方が安心を得るに便利である。吾輩も
安心を欲する。よって三面攻撃は起らぬと極める。」

やれやれとりわけ注意深く、慎重なはずの猫族の吾輩が、まるで我々楽天的な
人間のような物言いをしています。

しかしこういう呑気な気の持ち方は、危機管理や防災対策という点において、
私たちにとっても由々しき問題です。

地震やそのほかの災害、戦渦に巻き込まれる危険なども、何時なんどき我々を
襲い、訪れるかもしれないけれども、私たちは目の前の安心を得たいがために
つい、なおざりにしたり、目をつむり勝ちです。

例えばより身近な防災という観点から見れば、今年4月の熊本地震からも明らか
なように、日本列島どこでも何時大きな地震が発生するか分からない状況の中で、
私たちはついつい自分たちのところは大丈夫だろうと、備えを怠りやすいように
感じられます。

所々の危険を認識して、それなりの心の準備や問題意識を持つことは、なかなか
簡単ではありませんが、反面教師として吾輩から学びたいものです。

最も、日露戦争の戦果華々しく勇ましい時代に、漱石がこんなに呑気な吾輩を
小説に描いたという事実は、私にとっては微笑ましくもあります。

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