2016年8月19日金曜日

鷲田清一「折々のことば」492を読んで

2016年8月18日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」492では
俳人佐藤鬼房の句集「瀬頭」から、次のことばが取り上げられています。

  やませ来るいたちのやうにしなやかに

「やませ」は、夏季に東北地方を襲う湿った冷風で、かつて凶作や飢饉をもたらし、
人々を苦しめたそうです。

東北地方は厳しい気候風土の中で、明治期以降も生活苦に苛まれる人々や、
やむをえず故郷を捨て、新天地に活路を求める人々が多く存在したといいます。

宮沢賢治や寺山修司の文学は、それら東北の貧困や窮状を背景に持っていると
言えるでしょう。

他方第二次大戦後の高度経済成長や、科学技術のめざましい発達は、東北の
農漁村の経済水準を随分向上させ、そのような悲惨さは過去のものとなった
かのように感じさせます。

しかしこの度の東日本大震災による福島原発の事故で明らかになったように、
関東地方に電気を供給するための原発がどうして東北地方に集中しているのか
ということや、この震災で甚大な被害を受けた太平洋側の沿岸部の人口構成が
極端な高齢化に陥っているという事実は、表面的な印象とは違って、問題が
単純ではないことを示しているようにも思われます。

今回取り上げられたような優れた文学作品は、たとえ限られた短い字数では
あっても、私たちを沈思黙考に誘ってくれるように感じられます。

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