2016年8月21日日曜日

鷲田清一「折々のことば」493を読んで

2016年8月19日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」493では
文化人類学者クリフォード・ギアツの「解釈人類学と反=反相対主義」から
次のことばが取り上げられています。

 他の人々の生を私たちは私たち自身が磨いたレンズで見るし、彼らは
 私たちの生を彼らのレンズで見る

例えば日本美術を西洋人が観る時、彼らは私たちがそれを観て感じるように
ではなく、彼らの文化背景やそれによって培われた美意識を基にして、
向き合うことになるでしょう。

そして今まで目にしたことのない毛色の違う美術に、彼らの尺度から新たな
美を見出し、それを賞賛するということも生じるのではないでしょうか?

他方日本美術に慣れ親しんで来た私たちは、その美を当たり前のものと
決め込んでしまって、ともすれば海外から盛んに入って来る新奇な美術に
目を奪われ、既存の美術の存在価値を忘れ去ってしまうということも、起こる
かもしれません。

かくして西洋で再発見された日本美術の素晴らしさが、逆に私たちを覚醒
させて、その美に改めて気づかされるという現象も、実際に起こっている
ようです。

さしずめ琳派や伊藤若冲のブームなどには、そういう要素もあるのでは
ないでしょうか?上記のことばを読んで、そんなことを考えました。

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