2016年8月24日水曜日

承天閣美術館「いのち賛歌 森田りえ子展」を観て

森田りえ子は美術雑誌などで作品を見て、最近気になる日本画家ですが、
公募展、団体展への出品がないので、なかなか実際の作品を観る機会が
ありませんでした。それで今回、金閣寺方丈杉戸絵奉納10周年記念として、
相国寺承天閣美術館で展覧会が開かれることを知り、早速出掛けました。

実際に作品を観てみると、彼女の絵画の主題の一つの柱である花鳥画では、
伝統的な題材を正統に扱いながらなぜか洗練されてモダンであり、それでいて
内から溢れる熱情がオーラを放つように感じられました。

それはどういう訳かと作品を観ながら考え続けましたが、現代を生きる日本画家
として西洋的な造形法にも目配りが行き届いているのは勿論、結局静の中に
動を閉じ込めることに成功しているからではないかと、思いました。

この展覧会では作品の要所要所に画家自身による解説が添えられていますが、
それらを読み進めて行くと、彼女が対象の花木をどのようにして作品に結晶化
させて行くかということが、次第に見えて来ます。

つまりこの画家は対象のデッサンを繰り返すうちに、ついには対象と同化した
ような恍惚とした境地に至り、その境地を具現化したものとして作品は完成する
ようなのです。

例えば蓮を描いた絵では、彼女は終日蓮池に留まりデッサンを続けるうちに、
夢幻の境地に遊び、作品のイメージが出来上がったといいます。

あるいは、これも彼女の代表的な題材である糸菊では、細くくねる花弁の躍動感、
繊細さを表現するために、従来の日本画の制作方法とは違って、花弁の糸状の
部分は画布に直接フリーハンドで描きいれるといいます。

このような抑えがたい情熱を画面に定着させる制作姿勢は、おのずから日本画の
静謐な佇まいの中にも、ほとばしるパッションをにじみ出させることになると感じる
のです。

森田の作品のもう一方の重要な主題である人物画においても、彼女が描くのは
女性に限られますが、それらの女性はきらびやかな衣装をまとい、あるいは
豊満な裸体で画面に佇みますが、その表情も、所作も、一瞬の時に凝固した
ように静かです。しかしそれにもかかわらず彼女たちからは、にじみ出るような
気品、官能が放出されています。

同時に展示されているこの画家の裸婦デッサンを観ましたが、そのデッサンは
洋画家のものと見紛うほど写実的でしかも挑発的であり、画家のひそめたる
情熱を見る思いがしました。

久々に抑制の中の美ということについて、考えさせられました。

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