2016年2月19日金曜日

漱石「門」における、夜のしじまを宜道に導かれ老師のもとへ向かう宗助

2016年2月18日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「門」105年ぶり連載
(第九十五回)に、宗助が宜道に先導されて、老師のもとへ向かった初めての
夜の道行きの様子を記する、次の文章があります。

「「危険う御座います」といって宜道は一足先へ暗い石段を下りた。宗助は
あとから続いた。町と違って夜になると足元が悪いので、宜道は提灯を点けて
僅か一丁ばかりの路を照らした。石段を下り切ると、大きな樹の枝が左右から
二人の頭に蔽い被さるように空を遮った。闇だけれども蒼い葉の色が二人の
着物の織目に染み込むほどに宗助を寒がらせた。提灯の灯にもその色が多少
映る感じがあった。その提灯は一方に大きな樹の幹を想像するせいか、甚だ
小さく見えた。光の地面に届く尺数も僅かであった。照らされた部分は明るい
灰色の断片となって暗い中にほっかり落ちた。そうして二人の影が動くに伴れて
動いた。」

目の前に光景が浮かぶような詩的で美しい描写です。映像にでもすれば、
幻想的な場面が現出されるでしょう。

しかし同時に、宗助の思いや心の揺れも、この情景には見事に描き出されて
いると推察されます。つまり、安井の影に怯えて少しでも心の平安を得たいと
禅門をくぐったにも関わらず、老師の問いに答えを見出せない自分の頼りなさ、
不甲斐なさが、暗闇の足元のおぼつかない道を宜道のかすかな提灯の光に
導かれて、ぎこちなく進む彼の姿に映し出されていると、感じられるのです。

漱石の心憎い表現法と、思わずうならされました。

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