2016年2月25日木曜日

漱石「門」における、悟りを開くことが出来ず、山を下りる宗助

2016年2月25日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「門」105年ぶり連載
(第九十九回)に、宜道の親身になった導きにも係わらず、とうとう参籠中に
悟りに達することが出来なかった自らの不甲斐なさを嘆く、宗助の様子を
記する次の文章があります。

「宗助は自分の境遇やら性質が、それほど盲目的に猛烈な働を敢てするに
適しない事を深く悲しんだ。いわんや自分のこの山で暮らすべき日は既に
限られていた。彼は直截に生活の葛藤を切り払うつもりで、かえって迂闊に
山の中へ迷い込んだ愚物であった。」

宗助が無力感に囚われる様子が、伝わって来ます。漱石の分身で、近代的
自我の持ち主であった宗助には、最早心の雑念の全てをかなぐり捨てて、
一心不乱に道を求めることは、到底不可能だったのでしょう。

それは現代の自分に顧みても、更に納得出来ます。私には、彼以上に
不可能です。

以前、比叡山の千日回峰行を満行された行者の方の講演を、聞いたことが
あります。この行は、七年の歳月をかけて漸く達成されるそうですが、その
行者の方は、「私の満行の価値は、江戸時代以前に達成された行者には
遠く及ばない。なぜなら、その当時は人間の寿命が遥かに短く、全生涯に
占めるこの修行の歳月の意味が、今とはまるで違う。」と語っておられました。

勿論、謙遜も含まれるでしょうが、現代の世からすると霧の彼方の
江戸時代の修行者の心構えは、宗教的熱情において計り知れないものが
あったに違いありません。

漱石が生きた明治の世にあっても、彼のような先進的な近代人にとっては、
伝統の中に生き続ける宗教的信条というものには、どうしても体質的に
馴染めないところがあったのでしょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿