2016年2月10日水曜日

漱石「門」における、禅寺で宗助を迎え入れる宜道

2016年2月9日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「門」105年ぶり連載
(第八十九回)に、安井の帰京に追い詰められた宗助が、煩悩を断つために
訪ねた禅寺で、紹介を受けた僧宜道に庫裏に招き入れられる様子を記する、
次の文章があります。

「「能うこそ」といって、叮嚀に会釈したなり、先に立って宗助を導いた。二人は
庫裏に下駄を脱いで、障子を開て内へ這入った。其所には大きな囲炉裏が
切ってあった。宜道は鼠木綿の上に羽織っていた薄い粗末な法衣を脱いで
釘に懸けて、
 「御寒う御座いましょう」といって、囲炉裏の中に深く埋けてあった炭を灰の
下から掘り出した。」

心細い思いを抱きながら、宗助は俗世間と隔絶された趣のある禅寺の山門を
くぐり、釈宜道の庵を探し当てます。山沿いにある境内の鬱蒼とした木々に
抱かれた静寂の佇まいが描写された後、その一部をなす高い石段の上に、
宗助が目指す宜道の一窓庵が姿を現します。

さてその庫裏の囲炉裏を巡る上記の文章を読んでいると、私は即座に、この冬
久しぶりに私たちの三浦清商店の店先に、長火鉢を出した時のお客さまの
反応を思い返しました。

冷える戸外から店内に入った凍えた来客が、嬉しそうに火鉢の炭で手をあぶる
様子は、手前みそながら、ささいなことではあっても、幸福そうに見えました。

宜道が宗助に示した振る舞いは、心に迷いを抱く来訪者に、同様な少しばかりの
慰撫をもたらしたのではないでしょうか?

0 件のコメント:

コメントを投稿