2016年2月6日土曜日

作家高橋源一郎による、朝日新聞の1月の論壇時評を読んで

2016年1月28日付け朝日新聞朝刊に掲載された1月の論壇時評で、
高橋源一郎は、人気グループSMAPのテレビの生放送での謝罪を足掛かり
として、「暗黙のルールが潜む社会」というテーマで論を展開しています。

この紙面を通読した時、私は共感というのか、憤りというのか、何かもやもや
したものが、心にわだかまるのを感じました。しかし読み終わってすぐには
それを言葉に表すことが出来ず、10日ほどの時を隔てて思いが少しは
まとまったような気もするので、以下に記してみます。

日本という社会には、協調性とか同質の傾向が好まれるという意味において、
今日でも確かに、世間とか周りと軋轢を起こさない為の「暗黙のルール」と
いうものが存在すると、しばしば感じます。

それは一応民主的で、言論の自由が保障されていると皆が信じている現在の
私たちの社会にあって、一見奇異なことですが、その過去からの遺風は根強く
残り、風通しの良い、開かれた社会環境になるのを妨げているように感じられ
ます。ことにインターネットが普及した現在の社会状況にあっては、匿名性の
無責任な言論がこの傾向を助長し、かえってこの社会を息苦しいものにして
いるとも、感じて来ました。

その中での高橋の今回の時評のテーマは、私の心に重く響きました。そして
文中に取り上げられている、SEALDsの活動家福田和香子の言葉は、彼女の
活動の内容を具体的には知らない私にとっても、この閉塞的な社会状況を
打開する可能性を秘める言葉として、確かに訴えて来るものがあると感じました。
以下に引用して本文を閉じます。

 「下手に正義を掲げて突っ走ってしまったら、すごく偏った人間になってしまう
 から。半分靴紐がほどけていて、全力では走れなくてダラダラ歩いているぐらい
 のほうがいいのかなとも思う」

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