2016年2月8日月曜日

鷲田清一「折々のことば」303を読んで

2016年2月6日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」303に
田村隆一の詩「帰途」から引いた、次のことばが取り上げられています。

 言葉なんかおぼえるんじゃなかった(略)
 意味が意味にならない世界に生きてたら
 どんなによかったか

私たちは生きることにしても、働くことにしても、ついついまずその意味を
考えてしまいます。そして自分のやっていることに一体どんな意味が
あるのだろうかと、ついつい落ち込んでしまいます。

でも本当は、きっと意味なんて考えなくてもよいのでしょう。なぜなら今現在
ここに生きていることに、本来の価値があるのでしょうから。

自分のやりたいことを見つけて、しゃにむに取り組む。それがもし無理なら、
生きているというそのこと自体に価値を見出して、やらなければならないことを
とにかくやってみる。本当は、そうあるべきなのではないでしょうか?

でもこれは、大変難しいことです。なぜなら人というのは、ふと立ち止まった時、
往々に色々なことを考え込んでしまうものだからです。でもそれは、私の経験
から言っても、たいていろくな結果を生みません。

禅の教えの境地には、私自身浅学にして到底及びもつきませんが、今日の
このことばを読んで、無心という心の有り様への憬れは、ますます強くなりました。

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