2015年3月25日水曜日

漱石「三四郎」新聞連載を読み終えて

2015年3月23日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「三四郎」106年ぶり連載
(第百十七回)で、連載が終了しました。

片や明治、片や昭和と時代は違えど、私自身の四十年以上前の大学
入学時のわくわくした気持ち、戸惑いを思い返して、何か温かい、しかし
はらはらした気分で連載をを追いました。

しかし終わってみると、あっけなく幕を閉じてしまったような、一抹の
さみしさが残りました。

さみしさと言えば、三四郎が美禰子に失恋したということも、私の沈んだ
気分の余韻を助長しているのでしょう。

私は、恋愛小説、青春小説というと、相対的にハッピーエンドの顛末
よりも、失恋で終わるものの方が、性に合うように思います。

ハッピーエンドは描かれなくとも、以降の展開はあらかじめ規定されて
しまうけれども、失恋ものには色々な広がりの可能性があり、また
失恋という現実が、主人公を内省へと導く契機となり易いと考える
からです。あるいは、私自身の青春が、あまりぱっとしたものではなかった
ので、ついつい自分に引き付けて、さもありなんと考えるのかも
しれませんが・・・

いずれにせよ「三四郎」は、在りし日の私をもう一度振り返る切っ掛けと
なりました。還暦をまじかに控え、貴重な読書体験だったと思います。

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