2015年3月19日木曜日

漱石「三四郎」の中の、見舞いに来たよし子と三四郎の会話部分について

2015年3月19日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「三四郎」106年ぶり連載
(第百十五回)に、与次郎に言われて三四郎の病気見舞いに訪れた
よし子が、三四郎と交わす以下の会話の記述があります。

 「ええ。出来たの」といった。
大きな黒い目が、枕に着いた三四郎の顔の上に落ちている。三四郎は
下から、よし子の蒼白い額を見上げた。始めてこの女に病院で逢った
昔を思い出した。今でも物憂げに見える。同時に快活である。頼に
なるべき凡ての慰藉を三四郎の枕の上に齎して来た。
 「蜜柑を剝いて上げましょうか」
女は青い葉の間から、果物を取り出した。渇いた人は、香に迸しる
甘い露を、したたかに飲んだ。
 「美味しいでしょう。美禰子さんの御見舞よ」

何とも言えぬ情緒とニュアンスがあります。その感じはどこから来ている
のかと考えてみると、会話の間の二人の様子、感情の説明の部分に、
いい意味での省略、含みがあるのだと気づきました。

例えば、ー頼になるべき凡ての慰藉を三四郎の枕の上に齎して来た。ー
という部分、三四郎が心地よく感じている様子は伝わって来ますが、
よし子のどんな振る舞い、雰囲気が具体的に三四郎を和ませて
いるのかは、記されていません。しかしそのためにかえって、読者は
その場に対する想像を膨らませることが出来るのです。

同様に、-乾いた人は、香に迸しる甘い露を、したたかに飲んだ。-
という部分。よし子が蜜柑を剝く描写は省略されていますが、そのことに
よってかえって、二人の間に流れる穏やかな時間が醸し出されています。

何気ないようで、うまい表現だと、つくづく感じました。

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