2015年3月12日木曜日

漱石「三四郎」の中の、広田先生の夢について

2015年3月10日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「三四郎」106年ぶり連載
(第百八回)に、広田先生が昼寝をしている時に見た、二十年ばかり
前に会った年の頃十二、三才の綺麗な女と再会した夢について、
三四郎に語る次の記述があります。

「突然その女に逢った。行き逢ったのではない。向は凝と立っていた。
見ると、昔の通りの顔をしている。昔の通りの服装をしている。髪も昔の
髪である。黒子も無論あった。つまり二十年前見た時と少しも変らない
十二、三の女である。僕がその女に、あなたは少しも変らないというと、
その女は僕に大変年を御取りなすったという。次に僕が、あなたは
どうして、そう変らずにいるのかと聞くと、この顔の年、この服装の月、
この髪の日が一番好きだから、こうしているという。それは何時の事か
と聞くと、二十年前、あなたに御目にかかった時だという。それなら僕は
何故こう年を取ったんだろうと、自分で不思議がると、女が、あなたは、
その時よりも、もっと美しい方へ方へと御移りなさりたがるからだと教えて
くれた。その時僕が女に、あなたは画だというと、女が僕に、あなたは
詩だといった。」

ロマンチックな文章です。画は変わらないもの、心に焼き付いた印象の
象徴であり、詩は移り行く感興の象徴でしょうか?もちろん夢という
非現実の中での出来事ですが、その瞬間の美しさに充足するものは
永遠の美しい姿をとどめ置き、よりさらに美しいものを追い求めるものは
その代償として、自らは老いさらばえて行く。何か欲望といったものの
本質を言い表しているようにも感じられます。

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