待望の再開第1回、「鷲田清一折々のことば」2072では、詩人佐々木幹朗の評論『中原中也
沈黙の音楽』から、次のことばが取り上げられています。
わたしはどう生きるか、これから、という切
実な、未来に対する畏怖の思いを抜きにし
て、言葉は力を持たない。
このことばを受けて、鷲田は「言葉のほんとうの力は、人がその存在の乏しさの極まるぎり
ぎりのところで、次の一歩を踏みだすのを支えるところにある。」と受けます。
確かに日常の伝達や確認、また感情の表明とは別に、影響力や共感力のあることばとは何か、
と考えた時に、上記のことばが示す指標は、端的に力あることばのあるべき姿を、語って
いるでしょう。
ことにこのコロナ禍では、政治によることばの空虚さ、説得力のなさ、後手に回る歯がゆさ
を皆が感じているだけに、なおさらです。
でもこのようなことばの重要さは、何も公共の空間や芸術の世界に限らず、一般人の周囲の
人々との関係性や、個人的な自らの指針を作り出す場合にも、必要なことであると感じられ
ます。
とにかく、他者にしても、自分自身にしても、いわゆる人間というものを共感させ、奮い
立たせるためには、自分の全存在を賭するような気概や覚悟がいるのではないか。そして
そのためには、自分の与えられた命を精一杯生きることではないか。私はこの文章を読んで、
そのように感じました。
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