中国武漢に端を発する、新型コロナウイルス感染症の瞬く間の世界的な広がり、そして
日本でも全国的に緊急事態宣言が発動されて、今なお自粛生活を余儀なくされる中で、
先人は深刻な感染症をいかに想定し、その恐怖に直面する人々をどのように描いたか
を少しでも知りたいと思い、本書を手に取りました。
物語の舞台は、1940年代のフランス植民地アルジェリアの主要な港町オラン。この町
を突如として襲い、全面的な封鎖に至らしめた感染症は、当時圧倒的な致死率を示し
たペストと、今回のコロナ禍とは色々な部分で条件が違いますが、この本を読み終えて
まず感じたのは、感染症の猖獗がそれを目の当たりにする人間に与える不安、孤独、
絶望の普遍性です。
まず危機感をはらむ感染症の流行は、致死率の違いによる深刻度の軽重はあるに
しても、直面する人間に強く死を意識させます。しかもその元凶が目に見えず、手に
触れることが出来ないものであるだけに、人々は漠然とした不安に囚われます。更に
は、感染症は人から人に伝染して行くために、生活の色々な場面で接触する不特定の
人間が、あるいは感染者ではないかと、人間不審、疑心暗鬼を募らせて行きます。
そして遂には、感染症がその地域に蔓延すると、他地域に感染を広げないためにこの
地域は封鎖され、中に閉じ込められた人々は、恐怖と孤独と絶望、焦燥感のないまぜ
になった感覚に陥ります。
その結果として、物語のオランの住民の中には、飲食店で無闇に酒をあおって現実を
忘れようとしたり、禁じられているにも関わらず町から脱走しようとしたり、自身の感染
を確信して自暴自棄になり、見ず知らずの人を道連れにしようとして抱き付いたりする
者が現れます。これらの行為は、現在我が国で一部の人々が実行して顰蹙を買う行動
と、あまりにも酷似していて驚かされます。
他方困難な状況でも、患者の治療に専心する主要登場人物の医師、危険を顧みず民間
ボランティアとして彼を助ける篤志家の人々には、頭が下がる思いがします。この点は
現在のコロナ禍においても、私たちも大いに考慮すべき部分です。
いつかは、この感染症も終息するでしょう。その後、社会も各個人も今回の事態から多く
を学び、来るべき新たな脅威に備えることは言うまでもなく、現実のコロナ禍の渦中に
おいても、我々は他者を思いやり、自身に対しても誠実な行動をとるべきであることを、
本書は教えてくれます。
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