2020年5月14日木曜日

鷲田清一「折々のことば」1798を読んで

2020年4月26日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1798では
認知心理学者・下條信輔の『潜在認知の次元』から、次のことばが取り上げられてい
ます。

   ヒトは自分の見たいものしか見(え)ない

このことばには、自戒を持ってうなずけます。

私が勘違いで失敗をする時、それは大抵思い込みによると、思われます。例えば、
従来いつもこうであったから、このように対応すべきだと考えて物事を行った結果、
今回に限りそのようにすべきではなかった、というふうに。

このような事態は、前例通りにすることに頭が慣れてしまっていて少しの違いに気づ
かなかったり、前例から推測して導いた方法の導き出し方が間違っていて、結果が
違ってしまう時などに起こります。つまり、自分の経験や予備知識に惑わされて、
正しい判断が出来なかったということで、対象を見たいようにしか見ていなかった
結果と言えるでしょう。

さらには、単純にものを見るという行為においても、私たちは見たい、見るべきだ、と
思う部分だけを見て、その他の部分は見逃しているということも、往々にあると思い
ます。それが証拠に、複数人が一つの情景を見て、後で問われるとそれぞれの答え
がまちまちである、ということも起こり得ます。

では、私たちはこのような種類の間違い、誤認を極力起こさないために、どのように
心がけるべきなのでしょう?

一つはヒトのこのような習性を自覚して、そのような前提で慎重に行動を起こすこと
であり、あるいは、我執を離れて高所から物事を見る習慣をつけ、多様な視点から
物事を判断する、柔軟な思考法を身に付けることでしょう。

これらのことは、多く読書の習慣によって、獲得出来るのではないかと、私は考えて
います。

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