2020年5月7日木曜日

鷲田清一「折々のことば」1795を読んで

2020年4月23日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1795では
美術家・横尾忠則の『死なないつもり』から、次のことばが取り上げられています。

   強制的にさせられる努力は、もろいのです。

これは、紛れもない真実でしょう。でも、ここが厄介なところなのですが、ある物事
に取り掛かるきっかけの部分では、強制的に始めるように仕向けられる場合が
往々にあるということです。

何も最初から、自分が好きで物事を始められたら、それに越したことはありません。
でもほとんどの場合、最初はその事が好きか、分からないものです。

だから、強制的でもきっかけを与えられて、やりだしたら興味がわいて、楽しくなって、
夢中になって、どんどんそれに打ち込んで行くというのが、理想的だと思います。
つまり結局、自分の取り組み始めたことを、ポジティブに受け取り、そこから楽しみ
ややり甲斐を見つけ出して、自分の意志で努力するようになるのが、秘訣でしょう。

もう一点、強制されることの危険なところは、強いられてやる努力は、自発的な努力
に比べて、それをやる理由を考えなくていいという意味で、楽であるということです。
つまり、その理由は強制する側に一任しておけばよく、自分はただがむしゃらに努力
を続ければいいのであって、ついつい惰性に流されてそれを続けてしまう、という
ことも起こり得るでしょう。

ただしこのような場合、途中でふと、自分が何のためにこの努力を続けているのか
分からなくなった時に、突然の挫折が訪れるということです。

このように考えると、自分が現在続けている努力に対して、いち早くその理由ややり
がいを見つけ出すように心がけることも、その努力が長続きする秘訣であるように、
思われて来ます。

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