先日、この本の編訳者頭木の著書「絶望読書」を読んで、その本に出て来るカフカの
記述に興味を覚えたので、本書を手に取りました。
私が特に関心を持ったのは、どうしてカフカの手紙や日記が人生に絶望した人を癒す
か、ということです。頭木はカフカを絶望名人と称していて、確かに本書を読んで行く
と、カフカはこれでもかというぐらい自分を否定的に捉え、親しい人に数限りなく愚痴
をこぼしていますが、ただそれだけなら絶望した人がそこに自身よりひどい状況の人
を見出して、単に憐憫の情を抱くことはあるにしても、決して心底癒されるということは
ないでしょう。
では、どうして実際に癒されるのか?その訳を考えて行くとまず、カフカの小説が生前
には認められなかったとは言え、その死後には、彼が20世紀を代表する重要な
小説家の一人であると評価されていることが、挙げられます。
つまり、彼がどれほど自分を無能呼ばわりしても、実は素晴らしい実績を残した人で
あり、たとえそのような優れた人でも実人生には夥しい報われないこともあり、マイナス
思考に陥ることもあるという、彼の人生に対する共感です。
なるほどそのような要素は、あるに違いありません。しかし決してそれだけではなく、
もっと深い要因があるように私には思われます。そしてその部分を探って行くと、カフカ
がどれほど自分自身や人生に絶望していても、自らをその状況に追い込む原因と
なっている思考や価値観に、絶対の確信を持っていることが挙げられると感じます。
それは当時の社会通念や常識に沿うものではありませんが、彼は絶対に自分の筋を
曲げません。彼は、社会的地位を求めません。ひたすら孤独と向き合い、内面生活を
描写することに心身を削る思いで取り組みます。
その結果、異性関係を含む親しい人間関係に軋轢を生み出しますが、自分自身では
それを少しでも良い方向に持って行こうと、あくまで誠実に必死に生きています。その
ような姿が、彼の手紙や日記の行間に見えます。
実際に、彼が文中ではどれだけ友人や女性関係の絶望を訴えていても、彼の死後、
彼の文学の顕彰に取り組んでくれた親友がおり、婚約を破棄されても、彼を終生想い
続けた女性がいたのです。
彼のそのような生き方が、彼の絶望の言葉にも宿り、現在人生に絶望している人に
癒しをもたらすのではないか?本書を読んでかえって次は、彼の小説が読みたくなり
ました。
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