2020年4月13日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1775を読んで

2020年4月2日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1775では
スペインの思想家オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』より、次のことばが取り上げ
られています。

   高貴さは、自らに課す要求と義務の多寡によ
   って計られる

もし高貴さの意味するところが、世俗的な尺度である身分の高さや裕福さでないなら、
確かにオルテガのこのことばは、至言であるでしょう。

このような高貴さは、私の経験からすると、必ずしも世俗的な尺度に対応するとは
限らないように、感じられます。

いやそれどころか、生まれつき身分が高かったり、急速に富を蓄え、成り上がった人
が、上記のような高貴な心を持つことは、そうでない人よりハードルが高いとも、想像
されます。なぜならそのような人は、自らの持つ権力や影響力によって、このような
要求と義務を免れることも出来る、と思われるからです。

だから逆に、世俗的に高貴な人が、心の持ち方においても高貴であれば、その人は、
真に尊敬に値する人でしょう。このような人は、社会的にも大きな影響力を及ぼすに
違いありません。

さて私たち名もなき市井の人間は、社会から課される要求ではなしに、自ら自発的に
自分に課する要求と義務を、決めることが出来るでしょうし、それを高く保つことが
自らの矜持になれば、周りの人々はごく自然に、その人に精神的高貴さを感じること
になると、思われます。

そのような人に出会う度に、私も少しでも近づければと、思います。

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