2020年4月9日木曜日

堀田善衛著「方丈記私記」ちくま文庫を読んで

方丈記というと私は、平安時代の終末期の天災、人災に人々が翻弄される都から
逃れ出て、小さな庵に籠り世の無常を嘆く、一人の風流人を思い浮かべます。
そしてここに描かれる無常観が、日本人の感性の一つを象徴するものであるとして、
現代に至るまで広く認識されて来ました。

しかし堀田善衛は、第二次世界大戦中の過酷な空襲体験の中で、方丈記を再読
することによって、長明が単に世の災いを嘆き傍観する趣味人ではなく、ラジカルな
視点で世を見据え、自立的に生きた能動的な意志の人であったと、再発見します。
本書では、正にそういう作家像を前提に、方丈記が読み解かれて行きます。

まず私が本書を読んで最初に印象に残ったのは、方丈記文中の大火、地震、大風、
飢饉に対して、悲惨な状況を出来るだけ正確を期して描こうとした長明の執筆姿勢
で、堀田は、彼が好奇心旺盛で、わざわざ現場まで行って、確認してからでないと
描けない人であったに違いないと、推測しています。

最近では、方丈記の災害の記述は客観的で正確であり、今日の防災の観点からも
参考になると評価されているので、50年近く前の堀田の指摘は、的を射たもので
あったことが分かります。

次に感銘を受けたのは、長明が神官職の家の次男に生まれ、詩歌、音曲の才に
長けながら、持ち前の我の強さとはみ出し精神で、とうとう神官の職には就けな
かったところで、宮廷の貴族社会の中での身の処し方に彼がなじめなかったこと、
また当時の親族間で殺人が行われるほどの官職を得ることの難しさなど、彼が
隠棲する背景を記する部分では、方丈記の成立過程を説得力を持って解き明か
していると、感じました。

最後にこのことが、堀田にとって一番訴えたかったことであると、私には思われ
ますが、長明が歌人としての才能により、貴族ではないにも拘わらず和歌所寄人
(わかどころよりゅうど)に任じられながら、藤原定家に代表される前例を踏襲する
抽象的な歌を善とせず、次第に歌人の世界の主流から外れて行くところで、自ら
の美意識に忠実で、大勢に流されない長明の生き方に、時空を超えて第二次大戦
後の荒廃から如何に生きるべきかを模索する堀田が、シンパシーを感じる部分に
は、私も共感を覚えました。

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