2020年4月27日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1786を読んで

2020年4月14日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1786では
哲学・人類学者ブルーノ・ラトゥールの『地球に降り立つ』より、次のことばが取り上げ
られています。

   権利のうちもっとも基本的なもの、それは安
   全で保護されているという感覚が持てること
   である。

私たちがまだ渦中にある、今回の全世界的な新型コロナウイルス感染症の蔓延を
眼前にして、安全というものの貴重さが、実感として身に染みて来ます。

今までは、各種ウイルス感染症のニュースに接しても、それはどこかよそ事で、対岸
の火事という感覚でしかとらえていませんでした。

しかし、危険が実際に身に迫って来ると、今まで当たり前であった安全が、本当は
歴史的に見ても希少なものであったことが、了解出来るのです。

同時に私は、この度の経験の中で、疫病の襲来から来る不安というものが、どのよう
な性質のものであるかということも、初めて知りました。

ウイルスはどこまで私の身近に迫っているのか、もし迫っているとして、誰が感染者で、
誰がそうではないか、目には見えないために全く見当もつきません。でもそれでいて
確実に、病魔はじわりじわりと近づいてきて、気が付けば目の前にいる、というような
恐ろしさ。

更には、その猖獗が一体いつまで続くのか、皆目見当がつかないこと。これは私たち
が常に経済活動をして、日々の生活を維持しなければ生きて行けない存在故に、肉体
上の生理的な恐怖だけではなく、生活上の不安も生み出します。

このような感覚を、そういう危険に今まで鈍感であった、私たち日本人が皆で共有する
ことによって、今回のコロナ禍の終息後、ありうべき次回の感染症の襲来に備える
実効的な感染症予防策及び防御策を確立することが出来れば、私たちの有する人権
も、更に厚みを増すことになるのでしょう。

今日のこのことばを読んで、以上のように痛切に感じました。

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