2016年10月10日月曜日

漱石「吾輩は猫である」における、吾輩の服飾考

2016年10月6日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載117では
銭湯に闖入した吾輩が、西洋的な裸体論、服飾論を展開する、次の記述が
あります。

「人間は服装の動物である。皮を着た猿の子分ではないと思っていた。人間と
して着物をつけないのは象の鼻なきが如く、学校の生徒なきが如く、兵隊の勇気
なきが如く全くその本体を失している。いやしくも本体を失している以上は人間と
しては通用しない。獣類である。・・・」

さて、初めて日本人の通う銭湯というものを見た吾輩は、その珍奇さに驚愕
します。しかしそこで彼が考え、思い巡らすのが、西洋的な価値観に則った
服装論であるところが、滑稽です。この猫の主人が苦沙弥先生だけあって、
流石にハイカラです。

文明化が進んだ西洋の価値観においては、紳士淑女は洋服を着て裸体を包み
隠すという厳然としたルールが出来上がったのでしょう。勿論ヨーロッパでも
次第に文明の中心となって行く北方では、防寒のために服を着るということが
生きて行く上での必要条件でもあったでしょう。

他方彼の地では、芸術においては裸体の描写、造形も、美しさを表現するもの
として、許容され、更には尊重されて来ました。

漱石は、その価値観が文明開化と共に我が国にどっと一時に入って来て、
人びとがともすれば慣れ親しんで来た習慣やものの考え方を棚に上げて、
闇雲にそれになびくことを、猫の言葉を通して茶化しているのではないで
しょうか?

0 件のコメント:

コメントを投稿