2016年10月28日金曜日

宮下奈都著「羊と鋼の森」を読んで

ピアノの音に魅せられ、調律師を目指す青年の成長物語です。2016年本屋大賞
受賞作です。

全編を通して詩的で穏やかな空気が流れ、読む者はまるで白日夢の中を彷徨う
ような気分を味わうことが出来る小説です。

今回気づきましたが、音楽の魅力を純粋に伝えようとする言語表現は、往々に
詩的で静謐な雰囲気を湛えるものになるように感じます。音楽は心臓の鼓動音
にも通じる、人間にとって根源的な芸術の表現手段であると、言われます。

しかしその作品は、目に見える形で現出されるものではないだけに、文章という
他のジャンルの表現手法を用いてその魅力を表そうとする時、どうしても
デリケートに取り扱うことが必要になるのでしょう。あるいは逆に、このような
デリケートさの中にこそ音楽の魅力があることを、本書のような優れた小説は知ら
しめてくれるのかもしれません。

さて本作は、音楽とピアノという楽器の奥深さを伝えるだけではなく、調律師を志す
外村青年の内面の成長の物語でもあります。

北海道の山間で育った感性が豊かで繊細な彼は、自らが通う高校にピアノの調律
に来た板鳥が作り出した音に、自身がこよなく愛する森の匂いと共通するものを
感じ、調律の道に進むことを決意します。本州の専門学校を卒業後北海道に
戻った彼は、板鳥の勤務する楽器店に就職し、調律師として独り立ちすることを
目指すことになりますが・・・。

彼の同僚の三人の先輩調律師の内、板鳥はプロの高名なピアニストに指名されて
コンサートホールのピアノの調律も手掛ける、言わば彼の目指す理想の音を紡ぎ
出す調律師、他方彼が見習いとして付く柳ともう一人の秋野は、それぞれのやり方
で、いかに個々の一般客に満足を与えるかを求めて日常業務をこなしています。

調律という仕事が、単にピアノからその楽器が出しうる最高の音を引き出すだけ
ではなく、ピアノと弾き手の仲立ちとして、両者の最良の関係を作り出すための
ものであることが分かります。

外村は見習いとして、柳の顧客のピアノ好きの和音、由仁という双子の高校生と
出会い、曲折を経て和音がピアニストを目指す決意を固めた時、彼女のピアノを
彼女の音楽の魅力を最高に引き出すように自分で調律したいと思います。

仕事に対して人並み以上に誠実で真摯であるために、自分の調律に自信が持て
なかった彼が、心から彼女のために自らの持てる技術を尽くすと決めた瞬間、彼
自身が調律師として成長したことが感じられて、好感を持ちました。

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